電車は日本社会そのものだった ー既得権益編ー
最近電車に乗る機会が多い。
短時間でも長時間でも、機会が増えた。
そんなこんなで、ぽわーと電車に乗っていると思う。
電車にはいろんな人がいる。
寝癖が悪い人、静かに寝る人、いびきをかく人、足を広げる人、肩幅のある人、大人、子ども、高齢者、身体が悪い人、席が空いているのに立つのが好きな人、電話する人、動画観ながら笑ってる人、ゲームをしている人、漫画を読む人、タバコ臭い人など、本当にたくさんだ。
ほんとにいろんな人がいる。笑
1. 自分のことしか考えることができない人
2. 「いい人」でいようとする人
1はいわゆる、マナーが悪い、モラルがないと言われる。説明するまでもない。みなさんが不快に感じる人はみんな1だ。
2はやっている本人がたまにつらくなる。いい人でいないといけないというのは、社会性を保ち続けるということで、多少は心や体への負担だ。本心でそれができる人間はおそらく少ない。きっとみんな、「ここは席譲るべきだ」とか「電話してはいけない」とか、そういう理想とされるものに近づけようと努力をしている。
特に、個人的に思う「電車は日本社会だ」という部分は、これ。
そんなに既得権益守りたい?
ということだ。
電車なんて始発駅でなければ、人が乗ってくるタイミングは違うのは当たり前だ。だけど、先に乗っていた人は比較的自由にスペースをコントロールできたりできるため自分でテリトリーを決定でき、後から乗ってきた人は、すでに準備された制限されたスペースにはまることしかできないことも多いだろう。
後から乗ってきたから「すみません、、」とペコペコしていいものでもないし、乗るタイミングが早かったからといって優位性が生まれるというものでもない。
そんな、ただ乗るタイミングが早かっただけで、座るのが早かっただけで、指定された範囲外までスペースを侵していいはずがないのに。しかしそれが横行しがちなのも事実かもしれない。
これが既得権益を守ろうとする例の一つだ。
他にもある。
座っている人が足を伸ばしていると、後から乗ってくる人のスペースを奪っていることになってしまうのだが、それに気づかないまたはあえて自分の欲を優先している人もたまにいる。乗るタイミングで優劣が生まれてしまうのは非常に良くない。
社会性は「自分」以外の存在を認めた時に発生する概念だ。思いやりだったり、親切だったり、配慮だったり。必ずそこには「他者」がいる。
そんな社会性が欠如している輩には屈してはいけない。座席には筋が入り、それぞれのテリトリーを予め定めている。足は伸ばしていいとは決まっていないが、それをすることで生まれる弊害に気づかないのは、想像力が乏しすぎる。そんな人がスーツを着たサラリーマンだったり、いい歳をした大人だったりすると、つくづく日本って残念だなと思うのである。
リスペクトのない社会には、憎悪や悲しみが増えると思う。リスペクトもやはり、相手ありきの概念だし、社会性を保つ上で少なからず円滑に物事を進めるエッセンスである。
自分が後から乗ってきた時に触るスペースが狭かったら怒るくせして、自分が逆の立場の時にそれをやってしまうのは論外だよね。そこは家ではないんだよ。
例えば、しかし、あなたが既得権益を守りたい時はあるかもしれない。どうしたらいいか。考えるべきなのは、公共益だ。社会全体にとっていいのかどうか。そして限界を知ることだと思う。スペースを広げようとすれば、相手は引っ込むのが大半だと思う。そんな成功体験に溺れずに、決まっている範囲は決まっている、伸ばしたところで自分以外が幸せにならない、と線を引いて欲しいものだ。
リスペクトして使おうよ!
自己満にならないための処方箋
まだまだな1ヶ月半
HEMP Magazines Japanはじめてから、1ヶ月半くらい経った。
(見せれるレベルにならないと嫌なので)SEOには手をつけずに、地道にやってみました。
ひとりでコツコツ、翻訳を続けてコンテンツを作るのに必死で広げていく1ヶ月半。翻訳すらちゃんと合っているのか、もしかしたら誤訳があるかもしれないけれど、、それでもまずは続けることを目標に1ヶ月半。4/23の更新を皮切りに現在の記事数は34になった。まだたったの34だけど、飽き性でいろんなことがなかなか続かない初速王にしては、今のところ順調だよね。
ワードプレスを使っているのだけど、コードなんて全然わからないし、コードをいじることなく最低限の体裁は保とうと、いじれるところを最大限にいじるスタイルでやっていたら、中学校の同級生の友達が『https://exave.net』というものをやっていると知り、藁にもすがる思いでその2日後に再会することに成功した。それからたびたび頼っている。そのことが、今までの自分の中の「最低限」のレベルを引き上げた。頭で描いているかたちを具現化していけることで、メディアとしての質も少し上がった気がした。あとはコンテンツだと。
それからは、翻訳、更新にも本格的に力を入れた。
このメディアは「自分を語るもの」だと思って。
今回は今までの振り返りとこれからの課題を抽象的に書いていきたい。
足で稼ごうね
そして、人との出会いも必要不可欠だと思い、ネットワーキングも兼ねて外にも足を出した。外にオープンになることで、色々なつながりが増えた。行けることには行く。できることをやらないことで得られないものはもしかしたらその時は大切じゃないかもしれないけれど、できることをできるだけやることで得られるものはその機会損失よりも大きい。ネットでも繋がることはできるけれど、人間は生き物だし、そこはオンラインだけじゃ強くならないコネクションの厚さという面だと思う。実際に会わなきゃ始まらないことの方がまだたくさんあると思うので、、
ビュー増やさないとね
1ヶ月くらいしたところの5月末、すでに大麻のトピックで活動をしている人たちにも知ってもらおうと、少しではあるが、ツイッターのDMを送りまくった。反応してくださる人は少なからずいた。トピックとして誰もがやっていることではないから、その分野では、何かが生まれていくことに対して、少しでも目的が重なれば、全体として応援傾向にあるのかなと感じた。そうして反応を得たのち、シェアされる記事の傾向や反応がいい記事を分析して、次回の記事の選定につなげることができた。今まで以上に記事の選定に力を入れることができるようになった。
そこで嬉しかったのは、大麻の起源についての記事『大麻草の起源: 2800万年前、海抜3kmのチベット高原-大昔の花粉から読みとる』が比較的シェアされたことだった。ドラッグと混同されがちなマリファナなどの記事ではなく、大麻の植物としての価値や由来についての記事が、Facebookで友達ではないけどシェアつながりで目にしてくれた人のタイムラインにあったことは、推進派の紙一重な部分、この分野において「ただ吸いたい」という側の意図ではないものを感じて、少し感動した次第だ。
だが、追跡してしまったのは許してほしい。自分のものがどこまで影響力があるかを追跡するのは動物がご飯を食べるのと同じくらい自然なことだと思う。
Facebookだから大麻をそういう「植物」として捉えるアクションが強いのかもしれないな、と感じたのは、Twitterでは医療用マリファナやCBDオイルといった、体に取り入れる要素が比較的、閲覧や反応をされているということがあるからだ。
媒体の特性がここに出ていて、Twitterは比較的意見を述べるために存在し、よりコアな層と出会える。反対にFacebookは社会性がまだ保たれていて、ある特殊なトピックでも、あまり過激にその意見をガツンと言うことには向いていないのである。
だからTwitterは炎上しやすいし、ポジションが二極化しやすい。ましてや匿名であればなんだってものを言うことができるからね。
それともう一つは、このメディアの軸として、一般層に浸透させたいというのかあるので、よく知らない、興味のない層をどれくらい取り込めるかが鍵を握る。内容を砕いて一般化していくことも大事だ。
コンテンツを増やさないとね
これからは、ただ翻訳しているだけじゃもはや価値がないので、オリジナルのコンテンツを作っていくことが最低でも必要になる。それも、ただ作ればいいということではなく、わかりやすく、訴求力のある伝え方でだ。ここはマスト。
一生懸命信念を持ってものごとを伝えているのに、違う伝わり方したら元も子もないし、なにより自己満足メディアになる。当然見ていても関心がわかない。
自分にしかできないことをやる。このメディアが大事にしている軸でやる。
それには第一の問題意識、それを支える客観性のあるエビデンスと論理的思考、伝えるための表現幅、全てならオリジナリティを込め一貫してリンクしてはじめて、自分たちの「モノ」としての体裁を成す。
あとは、ZINEというか冊子媒体も作りたいし、動画でドキュメンタリーもしたい。おいおいで。
伝え方気をつけなきゃね
誰を批判すると言うわけではなく、極論、
使ったことがある→体が楽になった→大麻いい
使ったことがある→たのしい→大麻いい
逮捕歴ある→でもいい植物だ→日本おかしい
世界がやっている→日本はおかしい→解禁しろ
こういうのは、どうやっても理にかなわない。言うことは無限にできるけれど、人を動かすのは困難に近い。ならば「伝えるモノ」と「伝え方」で勝負しかないよね。
大事なのは「どうしてそれがいいのか」を客観的に伝えて納得してもらうこと。このトピックはワーワー言っても相手が腑に落ちなければ巻き込めないくらいまでの認識でやらないと、と思った。
ぶれないようにね
このメディアをやっていて「目をつけられるよ」と言われるけれど、そんな思考にはならない。咎められることは何もないと自信を持って言える。日本にある既存のルールの中でやっている。咎められるべきはその土地のルールを守らず、自論としての論理を優先することだ。
そしてなにより、地球規模で考えたとき、循環しない使い捨ての消費の仕方を永遠し続けることより、大麻が身近にあり資源利用することがはるかに有益で、石油市場のような搾取のない世界になるかのほうが長期的に見て人類のためだと想像ができる。これを言うとオカルトチックに思われる。
だから、やり続ける。アップデートし続ける。自己満にならないように!
日本の大麻メディアとして大事にしたいこと
前回の記事ではHEMP Magazines Japanを始めた経緯を紹介しました。
今回は「どうやってやるか」、つまり何を大事にしてやっていくのかについて、書いていきたいと思います。
世界は今年、大麻元年
今、アメリカを中心にして産業用大麻の合法化、農業の推進が進められています。産業用大麻は時には医療用という意味も含むこともありますが、厳密な使い分けや区別はまだ確立されていないように思われます。
産業用大麻が推進され始めている背景には、2018年12月にトランプ大統領の署名により米農業法案が可決され連邦法が改正されたことが挙げられます。
2014年にはオバマ大統領が、研究目的での栽培の合法化に署名をしましたが、今回の連邦法改正が意味するのは、産業として大規模栽培を合法化するということです。つまり国全体のルールについてなので、アメリカ全体として産業用大麻の栽培の合法化、大麻の禁止薬物リストからの消去を公式に認めたということになりました。
そのほか、医療用大麻や嗜好用大麻に関しては連邦法ではまだ合法化はしていませんが、州法では認めている州もあり、連邦法と州法の食い違いやそれによって起こる問題も大きく存在しています。
実際日本ではどんな感じ?
日本では自生をしていて栽培すらしていたという歴史があります。今は、自生した大麻を見かけた際には報告すれば厚生労働省麻薬取締部の支局が駆けつけることでしょう。
こちらは、平成29年度の不正大麻・自生大麻の報告件数をまとめたものです。厚生労働省から直接発表されています。こちらが資料です。
東北地方が多く、、関東の山間部や山梨、長野はちらほらと報告され除去されているようです。北海道は北海道ヘンプ協会があり今産業用大麻が盛り上がりを見せている地域でもあります。それが不正大麻の量とは関係あるかは不明です。鳥取には平成28年に大麻栽培農家が大麻所持で逮捕された影響でしょうか、その一年後のこの報告では少量の報告がされています。栃木県では長らく産業用大麻の栽培をされている農家がいますが、こちらは0件で、お見事です。
余談ですが、厚生労働省にはまず、不正大麻ってなんですか?というところから説明してほしいものです。「違法大麻」は聞いたことありますが「不正大麻」はあまり馴染みがありません。目的に応じて都合よく言葉をチョイスしていくのは必要なことかもしれませんが「大麻=悪い存在」であるなら「不正」「違法」をつける意味はなんなのでしょうか?甚だ疑問です。
日本では大麻をめぐって様々な意見がある
以前から日本でも「大麻解禁」や「医療用大麻の合法化」など、一部の人たちによって大麻合法化推進を訴えられてきた事実があります。日本ではどの法律書を読んでも、解釈の問題云々の前に大麻は禁止されています。
日本人でも海外経験がある人は大麻に馴染みがありその分理解もあります。特に医療的な面では、がんなど大病を患っている人などは鎮痛剤としての大麻の効能を知り、自ら渡米して治療に使うなどしている現実があります。また、高樹沙耶さんを皮切りに医療大麻解禁をマニフェストに出馬をする人も増えていますし、年々大麻の「非薬物的な露出」というのは増えてはいるのではないかなと思います。薬物使用での報道はたびたびありますが。
言論活動をしていくのは個人の自由であり、そういう活動をしていく人も社会には必要で何かしらの意味をなして存在するものだと思っています。
しかしながら、そういった「大麻推進論者」の世間一般の見られ方としては、全員が全員ではないものの、逮捕歴があったり、芸能人の逮捕のケースがメディアに露出したり、現実として「逮捕=大麻推進」といった構図ができているのも事実だと思います。
日本ではやってはいけない法律があるのにもかかわらず、日本で使用して逮捕され、その後で「大麻は素晴らしい」と主張したところで、なんの説得力もないのです。
主張を正当に公正に強くしたいのであれば、ルールを守り自らの主張の正当性を演出させながら意思表示をしていくことが、ビハインドなトピックにおいては大切なんだろうと思います。
加えて、日本での逮捕に繋がるケースとして多いのは、単純に大麻を楽しみたい嗜好用、喫煙によるリラックス効果や高揚感などを得ることで医療的な効果を発揮するいわゆる医療用でしょう。世間が大麻に対してドラッグ意識が強い中で、逮捕例がいずれも「体内に取り込む」点で、客観的にその行為自体に抵抗が生じるのも理解に難しくないはずです。
あくまでも私見ですが、現在の大麻推進論者がどうしても世間からそのような見られ方をされているのには、そういった背景もあると考えています。
大麻を含む政治的思想や信条はどうしても、大麻のことをよく知らない人にとっては「やばい人」に映ると思っています。都知事選に長らく出馬し、前回の統一地方選で港区議に選出されたマック赤坂もどういう人なのか何やっていきたい人なのかわからないじゃないですか。それでただ「スマイル」と言われても何かの宗教なのだろうかと「やばい人」に映ると思います。しかし、彼の政策をしっかり読み、どんなことをしていきたい人なのか、どんな経歴の人なのかを知ることができれば、その抵抗は少しだけ軽減されます。少しだけ。
ましてや、「大麻=犯罪・裏社会の象徴」とされる日本では少なくとも、それを政治に持ってこられることに関して構える傾向にあるのではないかと考えています。政治的運動や市民運動を展開することで草の根的にじわじわとその理解を広めていくことも可能ですし、将来の日本を案じその行動を中心で行なっている人々は尊敬に値します。しかし、筆者はそうではないアプローチで伝えていきたいと考えました。
より中立的に、公正に
とはいえ、筆者も大麻の可能性に魅せられている人間の一人であることには変わりありませんし、地球規模で資源の転換をしていくのにもってこいの植物ではないかと確信しています。筆者は医療用大麻や嗜好用大麻には興味ありませんし、ハイになりたいとも思いません。筆者の興味はすべて環境資源的可能性です。
その上で、総合的に大麻の効果も客観視していきたいとも考えているのでメディア内では幅広く扱います。つまり、記事としては私感を混ぜることなく伝え、コラムとして様々な意見を掲載していこうと思っています。新聞社に社説があり論風論評が異なることは、このトピックに関してはあまり意味のないことだと思うからです。
したがって、様々な意見や考えを扱い、読者が総合的に判断する機会を与えるメディアでありたいと考えています。
大麻を扱う上で大切なのは、どれほど中立性を見せながらまっとうに伝えられるかに尽きると思います。
伝えたいことがあれば、きちんと伝わるように最大限の努力、環境の準備をするのが最善の方法ではないかと考え立ち上げたのがHEMP Magazines Japanです。今後とも継続して、かつ質を向上させていくので、よろしくお願いいたします。
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最後にロゴをもう一度掲載します。こんな思いを込めました。
- 名前: ダイレクトに言葉を並べた方がわかりやすい
- Magazines: いろんな意見を取り入れたいという意味で複数形(実はドメインの関係)
- Japan: 日本でこの問題や将来について話し合えるようなきっかけを与えたい
- 色: 優しいグリーンで環境的有益性を表現、大麻のグリーン
- 大麻草: 隠すことなく堂々と有意義であることを示す
- 全体: 暗いイメージではなくクリーンにライトに
吸える?大麻メディアを作りました
ご存知の方もいるかもしれませんが、この度、新しいメディアを作りました。
HEMP Magazines Japanです。Japanを正式に名前に入れるかどうかは定まっていません。内容形態もまだ確立できていません。でも立ち上げました。はじめから完成形である必要はないので、これからも変わるだろうし変えていかないとです。
※翻訳転載しているため記事画像にはマリファナなどがあります
なぜやるか
理想はもっと大きなことをしたかったのだけれど、長期的に見たときにそのためにはまず小さなアプローチが必要だと感じたためこの手段を取りました。
最終的に大麻関連でやりたいこと
などなど
そのために必要なこと
- 自分を証明するもの
- 環境資源価値の周知
- 製品開発ノウハウ
「まずすぐできること」から始めるって大事だなと感じました。
プラスチックを作るとか、油を抽出するとか自分1人でやる必要はなくて社会益として全体でやっていけばいい。そしてゼロから始めるときに、正直あまり現実的じゃない。
だからまずは1人でできるメディアというものを立ち上げました。
それとあともう一点、大麻に関して、自分が思う日本が抱える問題点があります。
それは「知らない」ということです。
知らなければ考えないし、知らなければ動かない。だからまずはみんなに「今何が起こっているか」を知って欲しいというのがあります。
日本と大麻
これはかねてから言われていることでもありますが、日本人の精神性と大麻が深く関連しているといったところです。天皇制の維持が議論になったのと同じように、大麻にも精神性の結びつきがあると判断されたんだろうと思います。あの愚かな特攻精神、万歳精神(当事者はは批判していない。愚かなのは上層部)を支えた日本人の精神性の切り離しはGHQにとっては駐留の上での大きな問題の一つでした。
終戦3ヶ月後GHQが大麻取締法を制定して以来日本では栽培はおろか自生すらもしないようになってしまったという経緯がある。古くから日本には自生していて、今でも伊勢神宮のしめ縄や横綱のまわしに見るように伝統的な使われ方をされています。
では、現代ではどんな存在なのでしょうか。犯罪は手を染める入り口、ゲートドラッグとして位置づけられすっかり悪者になっている大麻ですが、大麻ってそもそも一言では片付けることができないことを知っている人が少ないように思います。そして同時にこれが問題の一つです。
いわゆる「乾燥大麻=マリファナ」が薬物として流通しているのですが、それ以外にも種類があります。それは、「産業用大麻=(インダストリアル)ヘンプ」といって、いわゆるハイになる成分であるTHCを0.3%未満しか含まない品種です。こちらは伝統的な用途で使われたり、プラスチックやオイルなど石油に代わる新しいエネルギーとして徐々に注目を集めています。
大麻と聞いて
大麻と聞いて一緒くたに「薬物だ」と顔色が悪くなる人もいるかもしれませんが、種類があるとか別の使われ方をしているとかこうした情報や知識を知らないことには、「大麻=薬物」と考えている自分は変わりません。だからこそ、それを知らせるメディアがあってもいいのではないかと思ったのです。
すでに大きなメディアで言うと、hemp TODAY JAPANがありますが、これはto Bらしいので、少しセーフです。
僕がやりたいのは一般市民レベルで情報を与えていくことであります。社会全体としての知識が蓄積されていくことで、徐々に偏見や誤解が解けていけば幸いです。
もちろん僕自身喫煙、吸煙行為には興味がありませんし、あくまでも環境資源としての活用に魅せられています。なので、医療用大麻や嗜好用大麻など、より体に近くなるジャンルに関してはあまり触れることはないだろうと思います。
HEMP Magazines Japanについて
まずはシンプルに最低限の機能を備えました。
今行なっている内容としては、産業大麻に関する海外記事の翻訳のみです。
ですが、近々マガジン(ズ)らしく週刊のようにして、情報を整理してお届けしようかなとアップデートを考えています。
デザインは最低限出せるくらいにしています。都合もあり、少し時間がかかってしまいますがもっと洗練されたデザインにしていきたいと思っています。
ぜひ温かく見守ってください。
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応援よろしくお願いします🥺
電車で座るためにできる6のこと
本当にどうでもいいことかもしれないが、電車でより高い確率で着席する方法を共有してみる。
きっと通勤や通学で長時間電車に乗ることがある人は独自の理論があるかもしれないけれど、ここでは筆者が自分なりに実践している方法をお伝えしたいと思う。
【前提】
・4人席が設置されている車両がある
・東京から埼玉へ帰る方へ
・立ちというビハインドから始めよう
【実践】
1. 4人席の前を確保せよ
2. グループを狙え
3. 網棚に荷物を置いていない人を狙え
4. キョロキョロしている人を狙え
5. 寝る態勢にない人を狙え
6. 中高生は狙うな
【表情】
席が空いたら
・そんなことは考えていませんフェイス
・ただぼく/わたしはここに立っていただけでたまたまですフェイス
・あっ、たまたま席が空いたフェイス
・運がいいな自分フェイス
席がなかなか空かない
・べつに座りたいわけではないですフェイス
・マイペースに本読んでますフェイス
・空いたら座ってもいいかな程度ですフェイス
自分の欲望が顔に出て、顔をキョロキョロして空いている席を全力で探している座りたさマックスの人って多数見かけるけれど、かっこ悪いよね!
やっぱ「いかにクールに頭で戦いを制することができるか」ここに全て詰まっていると思う。
筆者はそのような必死で席を探している大人の前の席ではなく、その人よりも頭を使った結果自分の前の席が空いた時が楽しい。とても楽しい帰り道だなと感じる(笑)
その時はゆっくりと優雅に腰を下ろす勝者の余裕を見せるのだ!!!
その表面と内面とのギャップをご自分でぜひ楽しんでほしい。
以下、詳細である。
1. 4人席の前を確保せよ
これは単純に降りうる人の母数を増やす作戦である。
もしあなたが普通の1列席*1の前に立っているとすると、あなたはあなたの目に座っている人、1人しか対象に待つことしかできない。
それに比べ、4人席*2はどうだろうか。
これならこの席の入り口にスタンバっているだけで自然と着席への可能性が4倍になるのだ。なんてすばらしいのだろう。※入り口でスタンバる人が自分の他にもう1人いるとしても2倍の着席率を確保することができる
なんと、奥に座ることができればプチ荷物台も漏れなく付いてくる。なんて賢い選択なのだろう。
2. グループを狙え
これも1と似ている。
前に座っている人がグループだった場合、1列席の前に立っていたとしても4人席と同様の効果が得られる。
逆に言えばおひとりさまは狙わない方が賢い選択ということだ。
降りる確率ではなく、量的な問題ではるかにおひとりさまを凌駕する。
3.網棚に荷物を置いていない人を狙え
網棚に荷物を置いているということは、長い時間座る可能性を示唆しているということ。できればそこを見極めて、すぐに降りそうな人の前にスタンバることをお勧めする。
4.キョロキョロしている人を狙え
単純な話で、駅を通過するたびに今自分がどの駅を通過しているかを注意している人はまもなく降りるはずである。その挙動を見逃さずにいればきっとまもなく座ることができる。
5. 寝る態勢にない人を狙え
これは基本中の基本である。選球眼を鍛えよう。
やはり寝ようとしている人はなかなか降りない。降りなくていいから寝るんだから。
6. 中高生は狙うな
これも基本的に選球眼の話。比較的若い年齢の乗客は群馬出の東京帰りの可能性が高い。したがって、なかなか降りない可能性が高い。ご高齢な乗客も同じように、比較的遠くから来られている可能性が高い。
中高生に多い性質としては以下のように挙げられる。
※比較的休日に多い。
・ライブグッズを抱えた中高生
・すこしダサい私服のグループ
・丸坊主で野球部だろうけどストリートチックなファッションで頑張っているグループ
・ディズニー帰り(確信犯)
年齢層的には、やはりサラリーマンなど20代後半、30代前半〜中年にかけて幅広い層で可能性を伺える。
・20代
スーツなら熊谷以前
私服なら熊谷以降
比較的この年代は鴻巣〜大宮の割合が多そう
・30代
降りる駅は20代と大差ない印象だが、その中でも東京寄りで降りがち
・40代
以外と熊谷周辺が多いかも?
ただ、社内でツマミ開いて酒飲むのやめてくれ
※上記、年齢層に関してはさらなる観察が必要
おそらく、言ってることは普通なのでさらに実践を重ねて精度高めていきたいと思う。
筆者ももちろん全く座れない日もあるが、そういう日は何も考えずただ立っているだけなので、やはり上記実践すれば座れる確率は高まると感じてもらうことができるはず。
カフェのプレイリスト主義
あくまでも自分の中の話であって、他の人の価値観がどうとかではないのだが。
コーヒーショップ、いわゆるカフェを選ぶ際、コーヒーの味では行かない。
理由は味がわからないから。そもそもコーヒー飲まないし。
じゃあ何を軸にカフェに行くか。
個人的にはプレイリストでカフェを決めることがあるかもしれない。
例えばクリスマスシーズンに流れている音楽で一番好きなのはスターバックス。
タリーズはまたテイストが違った記憶がある。
他の季節はわからないが、こんな具合に決めるのである。
まあ、基本的には自分で音楽聴くからあんまり関係ないけどねというどうでもいい話でした。
ただ言えるのは、味を買うよりは集中と心地よさを買うってほうがカフェを選ぶ基準になっているのは確かってことで、ワイファイがあって電源があって、、、という時間を買う価値があるかどうか、が一番大事である。
理想と現実、貫徹と妥協
考えてみる
ここに2つの文がある。
・「〜するべきだ」けど「〜しない」
・「〜するべきだ」から「〜する」
これは両方同じ理屈だ。
どういうことかというと、例えばこう。
・ゴミは分別するべきだが、出来てない
・ゴミは持ち帰るべきだが、ポイ捨てしてしまう
これらは、、、
・ゴミを分別するべきだから、する。
・ゴミは持ち帰るべきだから、ポイ捨てはしない。
これと全く同じだ。
結果はどうでも、するべきなことをしてもしなくても、すべきでないことをしてもしなくてもその思考回路は同じ。
人間という生き物
多くの「〜するべきでないことをしてしまう」とか「〜するべきことをしない」とかは、完全に人間の甘さで、
・ポイ捨てしてはいけないけどする
・喫煙所ではないけどタバコを吸う
・トイレではないけど用を足す
・下り階段だけど人がいないから上る
・電車で目の前に高齢者が来たけど眠ったふりをして知らぬふり
・プラスチックやビニール袋を多用する
※9割汚い
こういうのって原因は「やってしまっている自分」にはなくて「やってしまうのを許す自分」にあるのではないか。
だって、みんなわかってるんだもん。
「そうしたほうがよいこと」と「そうしないほうがよいこと」の区別を。
よくないことなのはわかっている
わかっているのに、やってしまう。
そこが問題なのだ。
そこにはきっと、
・みんなやってる
・自分1人くらい
・めんどくさい
・そうしたほうが楽
・急いでる
とか、心が落ち着いていない状態で起こることが多い。
つまり、
心が豊かで満たされている時にポイ捨てをするか?
急いでいない時に下り用の階段を駆け上るか?
美術館で紙くずをポイ捨てするか?
幸せいっぱいの時に、「わざわざやらないほうがいいこと」をするか?
そんなの謎のストイックくらいでしょう。(幸せな自分、罪深い、、、!みたいな)
こういうことだと思う。
たぶん、しないでしょう。
じゃあどうするか
でもたしかに、逆の状況では気持ちは分からなくもない。
みーんな、それが「やらないほうがいいこと」なんてのは分かってる。
じゃあどうするか?
どうすればその理想を忘れずに自分を注意していけるか、だ。
どうやってその理想を自分の中でキープする努力すら必要がないほどに心を満たすことができるか、だ。
それはきっと「その先に何が起こるか」を知ることが必要だと思う。
必要性がないのに自分の「めんどくさい」を抑えられないばかりにゴミを分別しない結果どうなるか。
喫煙所以外でタバコを吸うことで、本来きれいな空気を吸うことができたはずの人がどう感じるか。
たったガム1品買うのにビニール袋を断らないことで、その積み重ねがどういう結果を生むか。
この、先を考える力(ってほどでもない)は、少なくともいろんな人と生きていく中で必要で、いいことを呼び込んだり、悪いことを防いだりもすることができる。
もし何か「するべきではないこと」を知らずにやってしまっていたら、そこで気付けばよい。だから気づくこと、疑うことは大事なのだ。
「いつもこうしてるけど、これって何でだろう」
こうやって向き合うと物の見方が変わってくるはず。そうすると新しい視点が生まれて人生楽しくなっていく。同時に色々なことを予想でき、選択肢が増えて、色々なケースに動じることが少なくなる。
それ以前に、逆に考えることもせず「いつもそうしている」とか「そういうものだと思っている」とかは論外だけど。
自分の周りのことに対して何も感じない、疑いを持たないというのは考えることを忘れて、脳が麻痺しているからではないだろうか。
それで言えば、たとえば、いつも食べているものだってそう。
添加物パラダイスの食べ物を「子供のときから食べてるから」とか「おいしいから」とか。
もう、考えることを止めている自分にすら気づいていない。侵されている。
それがいいことかどうかとかはどうでもよくて、自分に確たる理由があればいいんだけど、そうじゃない要素、時間的なつながりとか周囲の状況で物事を容易に判断することが問題だと思う。
大切なのは自分の思考回路を自分で把握することだ!
それが自分をぶらさない術であり指標である。
こういうことを言うと過激とか考えすぎだとか言われるのだが、過激でしょうか?
おわり