あまりかたちのわからないもの

別に人生遠回りしてもいいかなっていうブログ

電車は日本社会そのものだった ー既得権益編ー

 

最近電車に乗る機会が多い。

短時間でも長時間でも、機会が増えた。

そんなこんなで、ぽわーと電車に乗っていると思う。

 

電車にはいろんな人がいる。

 

寝癖が悪い人、静かに寝る人、いびきをかく人、足を広げる人、肩幅のある人、大人、子ども、高齢者、身体が悪い人、席が空いているのに立つのが好きな人、電話する人、動画観ながら笑ってる人、ゲームをしている人、漫画を読む人、タバコ臭い人など、本当にたくさんだ。

 

ほんとにいろんな人がいる。笑

 

1. 自分のことしか考えることができない人

2. 「いい人」でいようとする人

 

1はいわゆる、マナーが悪い、モラルがないと言われる。説明するまでもない。みなさんが不快に感じる人はみんな1だ。

 

2はやっている本人がたまにつらくなる。いい人でいないといけないというのは、社会性を保ち続けるということで、多少は心や体への負担だ。本心でそれができる人間はおそらく少ない。きっとみんな、「ここは席譲るべきだ」とか「電話してはいけない」とか、そういう理想とされるものに近づけようと努力をしている。

 

特に、個人的に思う「電車は日本社会だ」という部分は、これ。

 

そんなに既得権益守りたい?

 

ということだ。

 

電車なんて始発駅でなければ、人が乗ってくるタイミングは違うのは当たり前だ。だけど、先に乗っていた人は比較的自由にスペースをコントロールできたりできるため自分でテリトリーを決定でき、後から乗ってきた人は、すでに準備された制限されたスペースにはまることしかできないことも多いだろう。

 

後から乗ってきたから「すみません、、」とペコペコしていいものでもないし、乗るタイミングが早かったからといって優位性が生まれるというものでもない。

 

そんな、ただ乗るタイミングが早かっただけで、座るのが早かっただけで、指定された範囲外までスペースを侵していいはずがないのに。しかしそれが横行しがちなのも事実かもしれない。

 

これが既得権益を守ろうとする例の一つだ。

 

他にもある。

座っている人が足を伸ばしていると、後から乗ってくる人のスペースを奪っていることになってしまうのだが、それに気づかないまたはあえて自分の欲を優先している人もたまにいる。乗るタイミングで優劣が生まれてしまうのは非常に良くない。

 

社会性は「自分」以外の存在を認めた時に発生する概念だ。思いやりだったり、親切だったり、配慮だったり。必ずそこには「他者」がいる。

 

そんな社会性が欠如している輩には屈してはいけない。座席には筋が入り、それぞれのテリトリーを予め定めている。足は伸ばしていいとは決まっていないが、それをすることで生まれる弊害に気づかないのは、想像力が乏しすぎる。そんな人がスーツを着たサラリーマンだったり、いい歳をした大人だったりすると、つくづく日本って残念だなと思うのである。

 

リスペクトのない社会には、憎悪や悲しみが増えると思う。リスペクトもやはり、相手ありきの概念だし、社会性を保つ上で少なからず円滑に物事を進めるエッセンスである。

 

自分が後から乗ってきた時に触るスペースが狭かったら怒るくせして、自分が逆の立場の時にそれをやってしまうのは論外だよね。そこは家ではないんだよ。

 

例えば、しかし、あなたが既得権益を守りたい時はあるかもしれない。どうしたらいいか。考えるべきなのは、公共益だ。社会全体にとっていいのかどうか。そして限界を知ることだと思う。スペースを広げようとすれば、相手は引っ込むのが大半だと思う。そんな成功体験に溺れずに、決まっている範囲は決まっている、伸ばしたところで自分以外が幸せにならない、と線を引いて欲しいものだ。

 

リスペクトして使おうよ!