あまりかたちのわからないもの

別に人生遠回りしてもいいかなっていうブログ

ででん、はじめました

少し前からやってたけど移籍しました。はてなって一度はみんな憧れますよね?

 

https://blogs.yahoo.co.jp/yuri11mc

 

 

文章を書くのは難しい。何も知らない人に自分の頭の中を説明するだけでなく意見を盛り込むからだと思う。

筆者は人に何かを説明する行為にとても苦手意識がある。自分の頭の中では組み立てられているものをアウトプットする際に十分に引っ張ってこれない。

単なるバカで済まされたらいいのだが、それでは本当に自分の言いたいことが完全に伝わらない。損するのは自分。

最近は自分が持ってる情報を整理しつつ、レベルの低い情報(一般的なレベルの情報)を散らしながら、徐々に個人的な話を積み上げて行くという話し方を練習している。今、とても普通のことを言っています。

これは文章にして伝えることを小さい頃からやってこなかったツケが来てるのだが、
例えば、
「お母さん、水」と言ったとする。
水が欲しいって言うのはまあやり取りの中で伝わるはずなのだが、「水がどうした?」という話になる。

このような会話を続けてきたおかげで、初期はポツポツと単語を並べて、、、やっと文になるとか、自分で何言ってるかわからなくなってきて、面倒臭くなって説明するのを諦めるとか、たくさんあった。情けない。

今になってはましになったのだが、「自分が知ってることは必ずしも他人も知ってるとは限らない」という、同じ前提で話さないほうがいいという、至極当然のことにやっと気づいたのである。

もしかしたらその一環でこのブログの作業をして、文章にアウトプットすることを実践的にやっているのだけど、後から見返したときにすごくつまらない文章になってて、萎える。

おもしろいブログの真似をしてもそのようにおもしろくならないし、自分が何を言いたいのかがブレてしまう。
また、おもしろくしようとして書くと本当に痛い文章に見えて具合が悪い。
正解は自分が言いたいように書きたいように書くことなんだろうけど、読み手は他人である、前提は同じにはするなと自分に言い聞かせているうちに、いつの間にか着地点を見失ってる。

 

そして致命的なのが性格的に「まあいいか」で妥協してしまうところで、今までの人生を振り返れば、詰めが甘いだとか言われ自覚もし、事実詰めが甘いことはそれに起因していると思われる。
たとえばボーリングでスペアが取れない(集中しろ)とかいう次元から、最後の最後点取ってればもうワングレード高いレベルを取れていたのにとかサッカーでシュートの前までは完璧だったのに肝心のシュートが入らないとか、レポートで見直ししたはずなのに提出後に確認したらまだ誤字があったとか、もう例を挙げればきりがないのだ。

どうにかしたいとは思う。
けど、それはそれでアイデンティティなのではとも思う。
一生改善しなさそう。

でも、例えばテストとか、発注するフライヤーとか、じっっっくり、何回も確認すると大丈夫だから、時間はかかるかもしれないけどその方法で地道に潰していくしかないのかなとも思う。

 

このブログをするにあたってこのようなことなどに気を遣って楽しく書いていきたいと思います。

楽しいことがなによりだと思います。

 

 

 

関係ないけど今オレゴン州にいます。楽しいです。

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