あまりかたちのわからないもの

別に人生遠回りしてもいいかなっていうブログ

おれはなにがしたいんだ

 

模索期間が長すぎないかぁ?

考えていたつもりがいつの間にか、あれ後回しになってる。

そろそろ詰めていかなきゃと思ってていつの間にか優先度が低くなっている。

なにがしたいんだ?

 

それもそうだし、ふつうに将来何がしたいの?

 

たぶん、きっと、毎日同じことの繰り返しは飽きてしまうと思うのね。

それは、つまり、作業が同じと内容が同じとで2つあると思うけど、内容が同じ仕事はもちろんのこと、できれば毎回違う作業を進めつつというやり方が理想かもしれない。

 

いやまてよ、と。

ほんと?

 

締め切りとか時間とか追い込まれなきゃ、吹っ切れられないような仕事をする人がそんなマルチタスクできるのか?

 

おそらく、それなりに詰まっていれば大丈夫だ。むしろ、詰まっていない仕事でありたくないし、仕事には詰まっていてほしい。そして自分もそれにつまりたい。

 

何かを同時に考えていくことって自分的には得意だと思うんだけど、どうなのかな。人によってそのタスクをこなすにあたっての分野もあるし一概には言えないと思う。

そんなの、あたりまえだ。

 

じゃあ何かの分野に絞れていない次元でのそういった作業というのは全く当てにならないじゃないか。全くは言い過ぎとしても、本来は得意な分野で、それが将来の生業になっていくような分野で勝負していたい。

 

もちろん、もちろん、そうじゃない分野であんまりうまくいかなかったとかも、それはそれでしっかりした指標になるからメリットはなくはない。

 

 

 

「刺激のある毎日でいたい」とはきっと誰もが思うのではないか。もしかしたら、毎日同じことをしてそれで自分が欲しいだけのものがあれば、それでいいという人もいる。だからまたこれがおもしろい。

 

わくわくして生きたいんなら、わくわくできる環境を自分で作るか、そこに身を置くかすることが必要だよ。

 

好きなことして生きたいなら、好きなことをやり通すことで得られる境地があるし、それをまた誰かが買ってさらに環境をグレードアップできたり、モチベーションが上がったりして、いいことたくさん。

好きなことをして生きたい人は趣味が趣味で収まらずに仕事になっていくのだから、それはもう才能なんであろう。

 

ぎゃくにいわゆる安定志向と言われる、毎日繰り返しで満足できる人は、きっと仕事と趣味とを完全に分けて考えることができる人なわけで、これはこれで器用で羨ましいなと純粋に思う。ただ、毎日繰り返しの作業に楽しさを感じていて欲しいとも思う。こういうのって楽しくなくなったら、おわりだ。

 

かろうじて繋ぎ止めている家族の存在だったりローンだったり、必須項目がなければきっと辞めてるんだろうなと思うくらい、楽しさを見出せないような人生はごめんだ。

 

 

 

何者になりたいのか。

 

 

人の役に立つことをしたい。幅広い領域をカバーできるような人間になりたい。それは技術云々もそうだが、それよりももっと大事なところで、大きくなりたいと思うのである。

 

人の役に立つというのはその行為に少なからず意味を見出させる要因になる。もし自分のためにやっていて人の役に立たないものなら、いつ辞めたっていいし、質もなんでもいい。

 

相手がいてこそ、自分は価値あるものとして認識される。

自分の価値は自分で決めることができると同時に、だれか相手によっても決められる面がある。そのときに、自分の言動などからどう見られようが知ったこっちゃないけど、相手が、自分が大事だと思う部分を同じように考えていたり、共感できるような意見を持っていたり、尊敬できるような自分にはないものを持っていたりすることで、それがまた今の自分への鏡となる。

なんと思われようがいいと言い放つ前に、実は、なんと思われたいかが存在する。

 

別に結果的にどう思われても気にしていないと言っていても、その前には、それをすることでどう見られるかを多少は気にしている。かもしれない。

 

 

はあ、もうこの時点ですでにおれはなにが言いたいんだ?