あまりかたちのわからないもの

別に人生遠回りしてもいいかなっていうブログ

じぶんはすばらしい、とえるように

社会学者の宮台真司さんのラジオを聞いて、

なかなかこの人は面白いんだよなあ、と改めて思う。

そして同感だ。

 

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この人の名前を知ったのは、高校の時の国語の先生だっけか。

この人の本はたしかに読まないとなぁ。

 

 

「自己肯定感」

 

国立青少年振興機構が発表したデータ(平成27年)によると、

日本の高校生は、「私は人並みの能力がある」「自分は、体力には自信がある」「自分は、勉強 が得意な方だ」「自分の希望はいつか叶うと思う」という問いに対して、「とてもそう思う」「まあ そう思う」と回答した者の割合が4か国中で最も低い。一方、「自分はダメな人間だと思うことが ある」の問いに対して、「とてもそう思う」「まあそう思う」と回答した者の割合が高く、米中韓 を大きく上回っている。

という。(ラジオで用いていたデータは2017年のデータ)

また、内閣府が発表したこのようなアンケートに対する分析結果にもあるように、やはり日本の高校生の自己肯定感は各国に比べて低い。

 

おもしろい。

 

ラジオの中では、普通体重であるのに「自分は太っているほうだ」と答える割合が他の国より多く、その理由として、「人の目が気になる」という割合もかなり多いという。また、「過去自分の体重を減らす努力をした」と回答した割合も非常に多く、つまりは努力をして毎日暮らしているのが日本の高校生。そしてこれも自尊心の低さに関係している。

 

ストレスに関して、「落ち込むことがある」とか「時々落ち込むことがある」と答えた割合も他の国より一番多い。アメリカは「なんとなくいらいらしたときに物に当たる」という割合が圧倒的に高く、攻撃性が認められるらしい。

 

ストレスの理由としては、勉学や進学などの将来不安であり将来勉学で負け組になることへの不安と考えられるという。

 

そしてなにより、「自分は価値のある人間だと思うか」、「今の自分に満足している」に「そうだ」と答える割合に各国と4、5倍の差で、日本が低い。

 

さらに「学校には理解をしてくれる先生がいる」も日本が最低。

「学校には何でも相談できる先生がいる」という問いにも最低の数字。

 

 

結論としてつまり、、、

 

 

例えば日本では、2015年の国勢調査によれば、「年収が低い男は結婚できない、年収が高い女は結婚しない」という結果を見ることができ、その理由として「収入が低いから」。例えば他国では、収入が低いから生活を共有することで補い合う、そういう意味で結婚をするのに、日本ではそうならない。そこから、日本の夫婦は愛よりも金ということも想像に難しくないという。

 

「親を尊敬するか」など親との関係に関する答えも日本は悪く、そのことこそが自己肯定感につながると指摘する。

 

「自己肯定感が高い人ほど親や教師との関係も良好」

「自己肯定感の低い人ほど親や教師との関係が悪い」

 

言い換えれば、

 

「親との関係の良し悪しは自己肯定感の喪失につながる」

 

そして自己肯定感の低い人はさっきの日本の結婚のような損得に左右されるような人になっていく。

自分のことをしっかりした人間だという認識があれば、損得に左右されないで、物事と向き合うことができる。恥ずかしいことや卑怯なことをするのは如何なものかとか。また、だからこそ、自分以外のことに対して貢献したり与えることができるという。

 

自己肯定感の低さは人間関係に影響する。

 

自己肯定感のある人間を育てるために

 

一つの方法としてげられたのがバックキャスト。あるべき結果から考えるという方法。

 

損得に左右されない人にどうやってなるか。親に褒められるからやるとか損得で判断し、何かのためにいい顔をするとか、褒められることがすべてみたいな典型的なスパルタ教育を脱却して、自分のやりたいことをやり、その決定は自分で行うことが大事。

 

誰に何を言われようが自分のやりたいことをする。自分の道は自分で決める。教師や親はそれを完遂することができるようなサポートとして、一つの参考として意見を言ったりする。それを踏まえて聞く聞かないも自分の勝手、最終判断は任せるよ。というこの関係が大切。

 

日本社会はそうなると、「自己決定が大事」というとどうやって関わったらいいか手も足も出なくなる。ましてやモンスターペアレンツとかいうのもあるし、どっちかがいい仕事しようとしてもなかなか理解にも結びつかないとも思う。でもそうじゃないと、自己決定を尊重するってそうじゃないと。同感だ。

 

 

最後「クズだ!」ってめっちゃ怒ってる。笑

 

 

自分に自信を持てるように

 

よくわかる、この話は。

きっと自己肯定感の低さは日本人の勤勉さともいえるだろうし、にしてもシンプルにもっと自分らしくいこうよって思う。

 

確かに自分も自信がないといえば自信はない。けどそれは経験がまだないことに対しての自信。自分の人間的な価値については肯定することはできる。

経験がないことって例えばまだ社会にも出てないし自分の手で社会を動かすようなことに対する自信。希望はあるよ、希望とか「やってみせる」とかいう自信。この類の自信は自己肯定感には結びつかないものかもしれないけど、だからとにかく今は自分を試したい。自分のあることに対する自信のなさは経験をすること、試すことである程度は解決できると思うからである。

 

体重とか外見とか、人それぞれコンプレックスや悩みはあると思うけど、大事なのはそれを気にすることがなくなるようなことを身につけることだと思う。つまり自分はこれが強いというものを一つでもゲット出来れば、もうそれを武器に一つ余裕が出る。マイナスを考える前にプラスを楽しむことができる。

 

「そんなのまあべつになんでもいいや」と思えるくらいに、その悩みが小さく見えるような、あなたにとって重要で楽しいことを探すのがいいかなと思う。美しいことのように思えるけどこんなのは簡単で、自分の好きなことって何だろうと考えれば答えは簡単じゃないかなあ。

 

よく「何がしたいのかわからない」っていう人がいるけど、こっちに言われてもこっちもわからない。何がしたいのかわからなかったらしたくないもの以外のことをやってみたらいいと思うし、その経験はあとでどっかで生きてくる。

 

特に就職するにあたって「やりたいことがわからないけど」という本音を聞くことがあるが、何だそれとしか思わない。じゃあなぜあなたはそこを受けているのか、なぜ?としか思わない。その人に成長の未来はないと思うし、もしなにかあったとしてもそれを見つけて終わるに違いない。たぶん、探し続けないと伸びない。探し続けていても結果は見えないことの方が多かったりもするのだからね。

 

自信の持ちすぎもどうかと思うけど、自分の自信をもとになにかに挑戦したいと思えるようなことがあれば、それはすごくいいことだと思う。たとえそれで失敗したとしたって、それをやってない人はその失敗の仕方すらわからない。ましてや失敗を回避する方法すら分からないだろう。その分その人は強いし、その先のステップへ自分なりの考え方と感じ方で進むことができる。だからなんでもいいけど自信ないよりは自信あった方がいいと思う。少しの自信さえあれば少しでも一歩は踏み出すことができる。大事なのはそれが好きなことかどうかくらいだと思うなあ。

 

だから「なにがしたいのかわからない」人は「好きなことは何なのか」を考えた方がいい気がします。

たいてい何がしたいのかわからずに大企業に入ってしまった人は、宮台氏の言葉を借りれば損得でしょう?

いい学校に行けばいい会社に入れる、周りからいいなという目で見られる。親を喜ばせてあげられる。そういう損得は自分の考える力を失わせる。考える力というか思考回路が違う。きっとそういう人も損得なしに考える方法はできるはずだけどそれが邪魔をするんだと信じたい。

 

直感に基づく好き嫌いの、自分の純粋な欲求や希望ではないから、そのあとに自分がどうなりたいかとかが見えないんだと思う。スポーツとかに限らず、好きこそものの上手なれっていうのはそういうことだと思うな。好きかどうかは本当に大事にした方がいいと思う。

 

しかしながら、その決定を自分でしたんなら、そのとおりで自分の行動や発言に責任を持たないとあれ?ってなるし、サポートしがいもない。

だからこそ自己決定が大事になっていくわけで。

もしたとえば親が敷いたレールを走って挫折をしたら、親のせいにしたら楽だからね。自分は悪くない、こんなのさせた親が悪い。やりたくなかったのにやらせたのが悪い、と。偽りの自己肯定が始まる。道理のわからない寂しい人間になりうる。そんな寂しい人間にはなりたくない。

 

自分で考えたことは自分でやる、自分で決めたことは自分でやってみる。

 

そこにかかるお金とかでその決定が叶わない時に親の出番じゃないかな。そういうのも含めてその決定を尊重して支えるというのが親だと思うな。意見を言ってよくじっくり考えさせて子供の決定を尊重する。素晴らしいと思う。

 

その先でその子が失敗をしても、そこは自分で考えるべきこと。必要ならまたその手助けをしたらいいと思う。

 

いつも通り出口が見えなくなってきたけど終わりにします。

 

 

かくいう自分も自分磨かなきゃねえ。