ぢりき
目的と目標
なにかをやるときに、目的と目標を持つことは大切だ。
でも、その「なにか」が他の目的のために蔑ろにされることは少しもったいない。
本来の目的のためのサイドとしての「なにか」よりも、その「なにか」すらもメインにできたらそんなこと、できるに越したことはない。誰でもわかる。
ただ、大事なのはそれらが同時に起こることなのか順を追って起こることなのか、だと思う。
もし、同時に起こらないならそれは運が良い。なぜなら、それらをコンスタントに遂行できるからである。
逆に同時に起こる時はどうしよう。やるしかない?
なあなあになるくらいならやらないほうがいいのかもしれないし、それをやったとして、なにか少しだけ収穫があるかもしれない。
ただ、なにかをやるというのは時間を費やすということなのだからそれなりの時間意識を持って取り組まねばならない。時間を無駄にする人と、時間を有効に使う人、この差は大きいと思われる。自分自身後者を心がけてはいるがこれはなかなか簡単ってわけではない。
いかに充実させるか。学校やアルバイトもあるかもしれないがそれは考慮に入れないほうがいい。一日の大部分を占める本分たちはいいわけにされがちであるからだ。
ああ、なんか悪魔みたい。回避できないものや義務的なものは、正当な理由のように見えるけれど、実際はそうではない。というより、筆者はそう思わない。特に最近は。
「学校がある」「宿題に時間を取られてしまう」このような類の発言は簡単だ。
ついこないだまでそうだった。しかしこれも実はいま心に余裕があるからこその考えかもしれない。
でも、だ。でも、このマインドを保つことができたら、自分自身を奮いたたせポジティブに物事に取り組めることができるのではないか。そうだとしたら、これが一過性のものだとしてもそれを継続させることができるようなリズムやポリシーをしっかりこれから身にまとえばいいのではないか。
という、自戒でしかない内容だが、本当に、もっと自分のことに向き合っていかないとダメだなと思う。エネルギッシュに目標達成と目的遂行に努める、これでたいていは成長できそうな気がする。
ということで、今を考えるというのは未来を考えることでもあるとも言える?ので自分の将来について考えてみた。
たぶん、言える。なぜなら、「今なにがしたいか」は「この先どうなりたいか」に直結するような年齢になり始めているからである。先を考えていて、すごいじゃんと思う人もいるかもしれないが、そんなことはない。今まで考えなさすぎた。というか、考えていたつもりだった。が、あまかったと言った方が正しいかもしれない。とにかく、もう、ラストチャンスなのだ。
そんでもってどうなのよ
それで最近考えた選択肢をここに並べてみる。
最近、気になっていること。オカルトチックかもしれないが、単純におもしろい(interesting)という感覚で、「日ユ同祖論」というものを考えたりもした。これはいろいろ都市伝説とか調べてる中で出てきたワードで、それまでは考えたこともなかった。言い換えると、日本の祖先は遠くても、朝鮮半島、中国などアジアでも東アジアの範囲から来た渡来人なのではないかなくらいにしか思っていなかった。しかし、注意深く、慎重に例えばYooutubeで研究者の映像を見たり、その説を自分なりに検証(そんなに深くできてはいないけど)してみると、そんな気もしてくる。これこそが都市伝説のその曖昧な微妙なライン「嘘か本当かわからない」というものだからと言われればそれまでだし、その程度のものだとわかっているが、しかしながらおもしろい。
そのおもしろさの本質は、おそらく、「学校じゃ習わないこと」だからであろう。学校の常識は世界の本当の常識ではない。教育は国家の思惑がすごく反映されているからである。今まで考えなかったことを大人になって知る喜びというか、子供に戻るというか。とか言ってると、笑われるけど、こうしていつまでもフラットに好奇心擽られ続けていたい。しかしテスト期間にハマってしまうのだけは止められたいところ。
この最近気になっていることの将来性を考える。するとおそらく、なしではないという答えになる。可能性的には、旧約聖書から始まり、古代イスラエルの歴史、ユダヤ、キリストを知り、世界の宗教を知り、様々な派生やジレンマ、そして最終的にはいわゆる日本のカルト宗教と言われる新興宗教だったり「なぜ人はそれを信じるのか」がテーマになってくるんだろうと思う。
これで食っていけるのか、という問いには、正直そんなものわからない。宗教学者はレアなケースなだけでそんな質問なんか、下手に冒険をしていないサラリーマン以外なら当てはまる。
このケースは大学院?笑ってしまうね。
二つ目はサラリーマンである。業界は広告、デザイン、マスコミ、出版である。いわゆるクリエイティブと言われる業界である。しかし、この業界にはクリエイティブな人と、単純にタフな人とで分かれていると推測する。違っていたら訂正が欲しい。この業界は基本的に激務だ。激務といえど、個人差があるのだが、その激しさ故にタフでバイタリティのある体育会系の人間も求められるのである。そして、デザイナーなどのクリエイティブな人間たちもある程度のタフさが必要とされるのは言わずもがなであるのだが、個人的には体育会系のとしてクリエイティブではない人としては入りたくない、こう思うのである。きれいごとである。しかし、そんなのはいい。自分がそう思い自分の人生を歩く。(親の恩恵を受けながら...)妥協はなるべくしないほうがきもちがいいじゃん。自分の人生に関しては。他人の妥協はなんでもいい。
実際個人デザイナー事務所やその類の集団は例外である。前述したのは広告代理店と呼ばれる企業だ。
今までは自分は作り手ではなくディレクションをする側なのだと、こう思ってきた。そうなのかもしれないが、もう一度考えてみたい。最近思うのは、今自分に向いていること、自分ができそうなことをやるのもいいかもしれないが、「こうなりたい」「自分もできるようになりたい」と幅を広げるのもまた一つなのではないかということ。当然今のままではなんにも強くないのはわかっている。今のまま、デザインがやりたいですと言ったところで、私大文系のただの留年生である。美大生には勝てないし、そういった事務所も美大生がいたら美大生を採る。
では、1からそこで学びたいというのは不可能なのか?
こう思うのである。しかしそんなのを受け入れるのは実際無給でも迷惑なくらいだろう。
じゃあどうしよう。
美大生じゃないなりの「なにか」を身につけていたらどうだろう。
それは、「オールマイティさ」ではないかと思う。
美大生たちは当然デザインに強い。形にすることのプロ集団である。
そしたら、企画から手先の作業まで、ある程度1人でできてしまう人になるのはどうだろうか。きっとセンスが伴っていれば大変だけれど、楽しい人生が待っているのではないか。こう思うのである。
しかし時間の問題が立ちはだかる。
いっそのこと美大とか入ってればよかったんじゃないかとか思ったりもするけど、同時に自分ではどうやってもあの綺麗な世界観のあるインスタグラムにはならないなと、限界を感じるのであった。だが、それは何もしていない状態だから当然のことでもある。だから学ぶ意味があるし、磨く意味がある。今からでも遅くないのであれば、学びたいという気持ちも少しある。
ということで、三つ目は美大生である。(可能性低すぎ)
①おとなしく今のまま就職?
②地道に個人的にデザイナー事務所にアタック?
③研究者の道、学者?(笑)(笑)
④美大生
(数字に優先順位はありません)
いまなにやろう
そしてそして卒業制作を考えてみた。
50音に即して架空のブランドを設定し、その商品やサービスのブランディングを企画の段階から自分で1人でやるというもの。
その名も「(仮)歌留多的創作論」椎名林檎ばりの。
もし、万が一、時間があれば、アルファベットでの英語のものも作りたい。
つまり、50+26=76個アイデアを出しそれを形にしなければならないということである。きつい。けど楽しそう。調べた限り誰もやったことなさそう。
誰かやったことある人いたら教えてください。
だいぶボリュームはあるものの、、とはいっても、商品名、ロゴなどくらいになるだろうか。そしてデザイナーのサイトの「works」のような色合いの出るページすら作れたら素晴らしい創作になりそう。
例えばこれとか、こういう風にサイトを開いて一覧を作れたら粋だなと思うわけ。それが同時に自分のポートフォリオともなるし、自分のためにも、やる必要のあることだと思う。
それで、もっと欲を言えば、ZINEも同時に作って、アイデアノートや、その架空の会社の持つ問題だったり課題の設定を書いて、おさらいをする媒体も作れたらすごく満足。が、非常に時間がかかる。
たぶん、それぞれのブランドがストーリーあるだろうし。全体的に子供のおふざけのようなものだから絶対楽しいと思う。
この作業を通して自分のぢりきを形にしたい。自力でも地力でも血力でも、自分の精一杯のパワーを注ぎたい。
P.S. それで、
やっぱ日本語の先生はぜんぜんちがった。
ああ、発言には責任持とう、。、、、