あまりかたちのわからないもの

別に人生遠回りしてもいいかなっていうブログ

産業としての大麻栽培1

久しぶりの網地島

帰国してから1ヶ月が経とうとしている中で、先日は宮城県石巻にある網地島という離島に行った。人口は年々減り、1年に10人程度のご老人が亡くなっている超高齢化社会である。

そこに行った理由は、もちろん去年からのご縁のある友人のもとへお手伝いさせてもらいに行ったのと、日本での大麻のルーツを探るため、そして自分の思う大麻への認識を確認しに行くためでもある。大麻に関してはここ最近のことなのだが、真剣にその可能性と魅力に引き込まれている。

 

 

ちょっとあなたはそういう人だっけ?

わかる。

大麻大麻ってここまで何言っているの?ということを思った人も多いかもしれない。

アメリカから帰ってきて「アメリカだからな、留学ぼけか」と言われるかもしれないが、純粋に「大麻」という植物が熱いということを知ってほしい。

ここで単純な質問だが、大麻と聞いて連想するのは麻薬か繊維か。

麻薬を想像したあなたは、自身を日本教育が生んだ平均的かつ均一的な、誤った知識の結晶と改め、今後も引き続き必死に石油価格とにらめっこをして生きていくことになるということを知ってほしい。

繊維を想像したあなたは、これからのエネルギー問題をはじめ諸々の資源問題を解決するセンスを持っていると思っていいと思う。

この岐路は、きっとあなたの人生の岐路になるだろうし、それは同時に地球のこれからの選択を担うことにもなる。

大げさかもしれないが、この可能性にはそれだけを言っても過言ではないくらいのパワーと価値を秘めている。

 

そして、誰でも今から変えられる、明日から変えられる、そういうリアリティーの中でこの問題は存在しているのである。

なぜならひとりひとりの意識は変えられるからだ。

「麻薬としての大麻」から天然資源や繊維の「産業として大麻」へ。この思考はいつでも誰でも始めることができる。

現にこのまま石油を使い続けてもどうせ今の世代が死ぬ頃にはまだ石油は枯渇しない。しかし、地球の未来を考えよう。地球が作った素晴らしい天然資源を有効に活かさない選択のほうがよほどリアリティに欠ける。誰かが作り上げた虚構や誰かが作った既成概念を鵜呑みにするのはもう終わりにしたほうがいいと思う。

 

周りを見渡せば、あなた自身が変わることができる選択肢がたくさんある。

 

 

いま、たいせつなこと

この問題の真髄は大麻を一緒くたに麻薬と教えている日本の教育、つまり、こどもたちを均一的に平均的に作り上げていく割には、ダイバーシティ(多様性)などと謳うこの国のあり方にある。従順主義のような、まるで映画の中で監督の期待に完璧に応えるように仕上げられた役者としてこどもたちが放たれているような、国家の創作物としての教育であるように感じる。

それは学校で教わったことを正しいと思い、それが本当なのかどうなのかを自分では問題視、疑問視しないような頭に出来上がっていくことを意味する。

 

トピックはなんでもいい。トピックはなんでもいいんだけれど、その情報の照合作業を踏むようなプロセスが養われない。それが国家の意図でありあえてなんだろうけれど。

そして、それと同じことが言えるのが大麻というトピックである、とここでは言いたい。

 

見える問題点

このニュースを見て欲しい。

 

大麻摘発3千人突破=過去最多、高校生ら増加-「依存性ない」誤情報影響か・警察庁:時事ドットコム

 

今、大麻関係の知識で大切なのは、このニュースで言われている次元の「依存性がない薬物」という考えではなくて、「有毒性のない繊維」であったり「環境にやさしすぎる資源」というふうに思考を転換することではないかと思う。

 

ストップ大麻!大麻の使用は有害です!大麻の不正栽培は犯罪です!|厚生労働省

【ご注意ください! 大麻栽培でまちおこし!?~大麻の正しい知識で正しい判断~】

 

これらは厚生労働省が後悔している大麻に関する情報である。大麻をひとくくりにし、それを麻薬だとするような論調で、その危険性を謳っている。

また、2つ目はまちおこしの材料にされる恐れがあると主張している。

 

いずれも厚生省初のこの情報が正しいと主張しているのだが、実際はそうではない。

 

まず問題点1つ目。

大麻は有毒性のある種だけではないということ

つまり、大麻1種類しかなく、一般的に大麻と呼ばれるものがすべて体内に取り込むと効果が現れるというわけではないということである。

実際に神事に使用されるしめ縄や横綱の化粧回しなど神聖な儀式などに使われるものは栃木県の日光市にある大麻栽培農家が扱っているほぼ無毒性の種「とちぎしろ」によって作られている。そしてその農家に厚生省は栽培許可を下ろしているため無毒大麻があることなんてのはとっくに知っているはずである。したがって、大麻に関して悪い面だけを露出させネガティブなキャンペーンを積極的に行っているとしか思えない。自国の産業を成長させない意図が見え見えなのである。

 

品種改良によって誕生したとちぎしろのTHC(テトラヒドロカンナビノール、大麻の薬理成分)濃度は0.2%。欧州で定められている産業用大麻THC濃度は0.3%未満。この基準を十分満たしている。とちぎしろはいわゆる無毒大麻と言われている。

 

そして問題点2つ目。

産業としての側面を扱う情報が皆無であること

現に国内に存在する無毒大麻に関する情報はすすんで国民に共有すべき事柄である。大麻特に無毒大麻の栽培の公益性を無視してまで、無毒大麻をおおっぴらにしない態度は、どうにも不思議なものである。どこかの石油ビジネスで先陣を切る国の言いなりなのだろうか、実際に大麻栽培が禁止されたのは敗戦後のGHQによる統治以降のことであるのはなんらかの関係性を示している材料にはならないだろうか。

 

 

 国策としての大麻禁止

こうした国、同盟国をあげて取り組んでいる大麻の制限が生む結果は、化石資源ありきの自然の教訓を省みない行き過ぎた資本主義である。

麻薬としての大麻を禁止するだけの理由があるならば、産業としての無毒大麻まで禁止にする理由だってあるはずだ。本当にあるのだろうか?

 

それを説明できないようでは少なくとも筆者は納得しない。

 

歴史的な経緯を辿れば一般的には、GHQ占領後、古くから日本に自生をしていた存在として日本国民にとって精神性の高い植物と認識されていた大麻は、戦時中の天皇と国民の信頼関係や忠誠心にあるように、その日本人の精神性からは切っても切れないものとして占領軍にとっては考えられていた。

 

そして完成したのが大麻取締法である。これはアメリカ軍が起草して、てきとうな危険性を謳う理由をつけて成立したアメリカ主導の法律である。

 

そしてまた、大麻という植物が有用過ぎて、あらゆるものの代替品としての用途を持っているため、戦後の社会を司る予定であった石油にとっては非常に厄介な存在であったのだろう。日本なんて所詮アメリカの属国としての運命を突き進んでいる。今も昔もそれは変わらず、米軍基地問題などとともに現代に尾を引く、生きる属国なのである。

 

そうした経緯を経て、今もなおそれを受け継ぐ日本という国には、過去の自分たちを忘れ、さらにはその事実すらも知らない世代も増え、このまま大事なことに気づかずに衰退していく未来が見える。

 

こうしたことを懸念すると、陰謀論だのオカルトだの、そういった話になりがちなのだが、一回フラットに考えてみてほしい。偏見や個人的な知見なしに考えてみてほしい。大麻自体の環境に対する持続可能性と資源としての効率は、目先のお金儲けや目先の便利に目をくらますことなく地球を大事にしようと想う心があるならば、誰がどうみても石油と比べ、そのパフォーマンスの高さは一目瞭然である。

こうした可能性とは対照的に現状の規制があるという事実を色眼鏡なしに見ても、どうしても、なんとなく繋がっているのではないかと思わざるを得ないのも正直なところである。実際に筆者もそれが本当なのかどうなのか自分自身興味があって、こういった仮説を立て自ら判断をするために調査をしたいと思っているところである。

 

 

つづく