あまりかたちのわからないもの

別に人生遠回りしてもいいかなっていうブログ

言葉と集団

 

ツイッターで「本書きたい」を検索してみる。

 

 

すると、検索にはアニメ系のアカウントやゲームの系のアカウントのツイートが目立ち、中身も曖昧でただの欲求以上は何もない

 

次に「本出版したい」と検索をかける。

 

すると、ビジネスだったり、自己啓発を匂わせるタイトルだったり、内容をイメージするのが容易で、よりリアリティのある願望をうかがわせるツイートが多い。

 

これは「出版」という言葉が持つリテラシーのレベルであるということを示す(かもしれない)。

どういうことかと言うと、明らかに「書く」より「出版」のほうが国語的にはレベルが高い。その証拠に「出版」は小学校1年生は習わないだろう。

 つまり、その言葉を使っているだけでレベルの下限を自ずと決めているのである。

 

こうしたことは、高校入学の時に経験した。某有名大の附属高校に入った時、周りの友達が、中学校までの友人との普通の会話では使わないような単語や表現を普通に使っていたのだ。

地方公立学校出身には衝撃のリテラシーの高さだったのをよく覚えている。

 

悪いことは言いたくないが、実際の問題として、集団によって使う言語レベルには差がある。公立の小学校中学校など特に田舎で育った環境でのリテラシーのレベルと、受験を見据えた中でハイレベルな競争や勉強を重ねてきた人とでは、やはり悲しくも事実として相当レベルが違う。

 

また、会話の中でも、使う単語でリテラシーの違いを見せつけ相手を牽制することができる

例えば、意識高い系がカタカナの専門用語ばっかり使って何をおっしゃっているのかさっぱりわからないという経験はないだろうか?

コンセンサスとかインセンティブとか、コンバージョンとかなんかとにかくビジネスシーンで多く使われるマーケティング用語とかは代表的だ。

 

要翻訳でツッコミ入れたくなるような会話はやってらんない。日本語を話せ、と。

 

彼らからしたら日常的に使っているんだろうが、その言葉、少なくとも日常会話レベルの日本語ではない。それを上からワーワー押し付けて話をしてくるのはもう、自分が優位にある、頭がいいというアピールに他ならない確信犯なのだ。

 

つまり専門性が高いことを噛み砕かずにそのまま振りかざしてくるタイプには要注意である。特に意識高いコンサル(偏見)。

 

きっと、言葉のチョイスには相手を思いやる気持ちも含まれると言えよう。

 

 

言葉というのはその人が育ってきた環境に依存する

「何を学んできたか」にフォーカスすれば、その人の専門分野では専門用語が口から出てくるだろうし、得意でない領域では一般的な語彙力になる。

「育った環境」にフォーカスすれば、昔、子どもながら言葉遣いが悪い友人がいたことはないだろうか?

 

そのケースに多いのは「親の口が悪い」ということだ。子は親を見て育つように使う言葉も口調も親を真似して育っていくのは疑いの余地はないはずだ。

 

「おい」とか「おまえ」などの汚い言葉を小学生低学年くらいの年齢の子供が使っていたら、それはきっと家でも親が使っていたりすることが多い。

 

反対に、家柄の良い家庭に育った子供は言葉遣いには気をつけろと言われていれば、その結果傾向として汚い言葉を使わない人育つことが多いように思う。

 

そういう意味では、ある人が所属してきた教育機関のレベルは、もしかしたらそういったリテラシーを上げるための助けになるのかもしれないとも言える。

また、付き合ってきたグループは仲のいい友人など、より小さい集団において使われる言葉やお馴染みの表現は、やがてその人に染み付き、それがその人のリテラシーを作る。

 

そうしたことを考えてツイッターエゴサをすると意外と面白いなと思ったのだった。

 

ちゃんちゃん